自分の音楽感(過去編 その1)
そもそも音楽というものにふれあったのはいつの頃であろうか? そうやって思い出してみると、一番最初の音楽の記憶は当たり前かもしれないが童謡でろう。 うちの家にもたくさん童謡のカセットがあって聴いていたのを覚えている。 それからしばらくして5歳になった時、私はエレクトーンを習っていた。 もちろんそんな年だから、自分から言い出したのではなくて、親に習わさせられてたのだったが。 まあそのころはなんの疑問もなくエレクト−ンをやっていたのであった。 後になって知ることになったのだが、うちの親は桁外れな音痴なのである。 生まれつき左の耳が聞こえなくて、音程がとれないからなのである。 最近は私と妹による数々な特訓の成果もあり、 桁違いの音痴から普通の音痴へと上達したが。 まあとにかく自他共に認める最高の音痴だったために、 自分の子供には子守歌とかもあまり歌わなかったわけである。 まあ本人は音痴であっても鼻歌や一人で歌うことは好きみたいなのだが、 なにせ相当の音痴のため、子供に自分の歌を聴かせて音痴になってしまったら どうしようかと危惧したみたいである。 そのため私も妹も小さいときからエレクトーンを習わされたわけである。 まあその甲斐あってか無事に音痴にもならず、絶対音感も多少は身につけられたのだが。 そんなこんなで人よりも音楽に関しては接する機会が多い訳なのだったが、 J-POPと呼ばれるものとの出会いは人よりもかなり遅かったと思う。 おそらく私がJ-POPというものを意識しだしたのは10歳〜12歳ぐらいではないだろうか? それまでは私にとって音楽というのは、エレクトーン、童謡、 そして今は懐かしNHKでやっている『みんなの歌』や 『ポンキッキー(フジテレビ系朝枠)』で流れている音楽が主流だった。 最初に知ったJ-popは『さよなら人類(たま)』『パラダイス銀河(光GENJI)』 『もう恋なんてしない(槇原敬之)』辺りではなかっただろうか。 それもかなり後になってから知ったものだったし。 まあ当時から周りの流行とかにはあんまり興味がなかったし、 その時代はある意味今よりもくそまじめ人間だったと言うのも J-POPという分野へのふれあいが遅れた原因ではないだろうか。 ちなみにそのころ、金管クラブ(吹奏楽部)なんかに Zenと一緒に入ってた時期もあったりもしたり。 まあそんな感じで小学校を卒業して、中学校に行くわけである。 中学校になって、初めてレンタルショップでCDを借りるという行為をし出します。 生まれて初めて借りたCDは『愛のままにわがままに、僕は君だけを傷つけない(B'z)』であった。 まあこのころになってようやくJ-POPにも興味を持っていくわけなのだが。 当時は父親の影響も強かったので、チャゲ&アスカや、ドリカム、米米クラブといった グループの曲を聴いていた記憶がある。 とは言え、まだ一つのアーティストにはまるということは知らなかったのであった。 初めてアーティスト自身にはまったのは『TM Network』であった。 最初に知った曲はアニメ『CITY HUNTER』 にてOP曲だった『Get Wild』と、 『CITY HUNTER3』のED曲の『Still Love Her』だった。 アニメと曲がマッチしており、良い曲だなぁと思いながら見ていたのだった。 その後友人から『TM Network』のアルバム『CAROL』を借りる機会があり、 家に帰ってそれを聴き、生まれて初めての感動を味わうことになるのである。 そして後日CDショップに行き、『CAROL』を購入するに至る。 ちなみにこのときが生まれて初めてのCD購入であった。 こうして私がTMNetworkにはまることになるのだが、 ちょうど時同じにしてTMNetworkが解散してしまうことになります。 まあそのことを私が知るはもう少し後になるのだったが。 まあそういうわけでして、その後TMNetworkを中心として J-POPにも徐々にはまっていくことになるわけである。。 詳細は別記の過去のアーティストランキング表を見ていただければ分かると思うが、 例を挙げれば、B'z、ドリカム、ZARDなどでした。 そして中学時代後半にはMr.Childrenにはまることになるわけである。 Mr.Childrenはおおよそ、中学・高校時代の 私がはまったアーティストの代名詞の一つであった。 まあ世間的にも大ブレイクだったので、そんなことは言うまでもないかもしれないが。 中学時代はMr.Children、TMN、ZARD、ドリカム、B'zが 自分の音楽の大部分を占めていたと言ってもよいであろう。 そうそう、全然関係ないことなのだが、 中学卒業するときに約10年間習っていたエレクトーンをやめることにしたのだ。 理由は今まで習っていた先生が結婚して退職なさったため、新しい先生が来たのだが、 私とその先生との馬が合わなかったために、『高校受験が忙しいから』と言う 嘘の理由をでっち上げて、やめたのであった。 今から考えると、あと少しで先生の資格も取れたわけであり、 『少々もったいないことをしたな』と思うのであるが。 まあそんなわけで高校時代へと突入するわけである。 |