自分の音楽感(過去編 その2)




高校時代において、私の音楽感を一変する事件が起きた。
とは言っても1つのことがそうさせたのではなくて、
様々な要因がからんでそうなったと言った方が正しいのであろうが。

1995年12月、TFM系(東京FM系)のラジオ局である
(現在はJFN(Japan FM Network)であるが)
FM滋賀、通称E-Radioが開局したのであった。
それまではFMと言えば、NHKFMの電波が入るぐらいであり、
お隣の京都にあるα−Stationは、近くの山に電波が遮られて聴こえづらく、
そのお隣の大阪にあるFM802や、FM大阪などは、雑音しか聴こえない環境であった。
とはいえ、個人的にはAMはあまり好きではなく、
ラジオは時々NHKFMの『ミュージック・スクエアー(平日21:00〜22:30)』を聴いている
ぐらいであった。

E-Radioができたおかげで、ラジオにはまっていくことになるのである。
一番初めにはっまたラジオ番組は、
『椎名へきるのG1グルーパー('95.10〜'96.9 毎週木曜25:00〜27:00)』であった。
今から考えてみるとこの出会いが、現在の私の音楽感を作ってると言っても過言ではないだろう。
別に椎名へきるとの出会いが私の音楽感を形成したというわけではなく、
そこからラジオを通して広がっていく世界観の中での派生元となってくれたと言う意味でだ。
もちろん椎名へきる自身が私に多大なる影響をを与えた事実については否定はしないが。

そんなわけでこの当時('95.12〜96.9)はラジオ三昧であったと言っても過言ではないだろう。
   21:00〜23:25 赤坂恭彦のミリオンナイツ(場合によってはミュージック・スクエアー)
   23:25〜24:00 ナイト
   24:00〜25:00 ジェット・ストリーム
   25:00〜27:00 G1グルーパー
   27:00〜29:00 まんたんミュージック

今から考えると、いったいいつ寝ていたのだろうかというぐらいだ。
しかもまんたんミュージックは夜遅いという理由で、ちゃっかりカセットに録音して、
翌日学校の通学時間に聴いているという徹底ぶり。

まあそんな感じなのだが、深夜ラジオを聴いている人なら分かるかもしれないが、
深夜枠のFMって、結構曲をかけることが多かったりもするわけである。
そのせいで、知らず知らずのうちに、色々なジャンルの曲を聴いているわけである。
今までは自分の好きなアーティストの曲しか聴かなかったことを考えてみると、
これは自分の音楽感を広げると言うことに関して考えると、重要なことであったであろう。
正直この時期から今まで全く興味がなかったロックアーティストの曲も聴くことになるわけで。
まあこれは『LUNA SEA 真也のG1グルーパー('95.10〜'96.9 毎週水曜25:00〜27:00)』
が結構きっかけを作る役割を担ったのは言うまでもないかもしれないが。

まあラジオの話はまたそのうち機会があれば詳しくするとして、
上記以外で私に影響を与えたラジオ番組と言えば、
DEEPER STREETと角川電波マガジンであろう。

 ('96.10〜'98.03)
   DEEPER STREET
     月曜 Swinging Popcicle
     火曜 カンケとペニシリンの千聖
     水曜 LUNA SEA 真也と三重野瞳
     木曜 椎名へきるとオフサイド大西('96.10〜'97.03)
         浅川悠とオフサイド大西('97.4〜'98.03)
   角川電波マガジン
     火曜 丹下桜と氷上恭子のドラゴン探偵曲('96.10〜'97.9)
     木曜 椎名へきるのミラクル・ブラウザ('96.10〜'97.03)
         椎名へきるのザ・ヘキリジョン('97.4〜'97.9)
         椎名へきるの恋愛パルス('97.10〜'98.03)

まあそんなわけで、このころは今では考えられないぐらいに音楽に精通していた。
某番組のおかげで、何故かビジュアル系のロックバンドマニアになっていたりもしたし。
D+SHADEや、イルミナや、クラウドや、ジャンヌダルクを
メジャーデビューする前からほとんどの曲を知ってたというぐらいだから
我ながらあのころはたいしたものだと思う。
ちなみにLUNA SEAやGLAYもこのころラジオにて
ブレイクする前に知ることになるのだが。

しかし高校3年あたりになると、段々とJ-POPに対する興味が落ちてくることになる。
一番の原因は、それまで続いていたG1グルーパー系のラジオであるDEEPER STREET
が3年間の放送を経て終了してしまったことかもしれない。
まあこのせいでラジオを聴く時間が半減してしまったし、
しばらくしてラジオがまるで役目を終えたかのように壊れてしまってからは
全然聴かなくなってしまったから。

それに加えてこのころからビジュアル系グループと、
小室哲哉プロデュースのアーティスト達が増えてくるのである。

ビジュアル系グループの曲は、当たり前かもしれないがロック調の曲が多いわけで、
ロック調の曲でも好きな曲はいっぱいあるけれでども、
基本的にはそんなに好きではないのである。

そして小室哲哉プロデュースのアーティストの曲は、個人的にはかなり耐えられなかった。
まあまだ安室奈美恵やTRF(初期)などは良かったのだけれども、
gloobやdosとかその他アサヤン系のアーティストの曲は、好きにはなれなかった。
TMN時代や90年代前半の小室哲哉を知ってる自分としては、
別に企画ものが駄目だと言ってるのではない。ある程度は楽しめるし。
ああいう企画ものの曲ばかりを作ってる小室哲哉には、嫌悪感があった。

まあビジュアル系アーティストと小室哲哉プロデュースのアーティストが増えるにつれて、
そしてMr.Childrenやスピッツ、ZARDや徳永英明などと言った
昔から好きだったアーティストが減っていったことがJ-POPへの関心を
急激に低下していったのではないだろうか。

まあそんな感じで高校を卒業して大学へと突入するわけである。