まどか☆マギカに対する、祈りと呪いに関して

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祈りと呪いというのは、民俗学的な考察を通して考えてみると
面白いような気もしますね。
物語とは直接は関係しませんが、少し思ったことに関して。


まどか☆マギカの最終回が終わりましたが、
個人的にはかなりの良策と言う感じでしたかね。
言われているほど凄いのか、全く凄くないのかはその人達の評価にもよりますし、
分からないところも多いので明言は避けますが。
posted at 00:14:05


エンディングは広げすぎた感もありますが、
10話までの流れをふまえてみると、まぁその辺りが妥当なところかなぁと。
おかげで2期や外伝への流れも出来たわけでして、
そう言う意味では現段階では商業的にも大成功なんじゃないでしょうかね。
posted at 00:15:51


それにしても、またもや所謂『セカイ系』と言う流れなのは...。
好きなジャンルではあるんですが、こう色々と続きすぎるとねぇ...。
エヴァ以降、ある意味ヒット作を生むための王道手段になりつつありますね。
posted at 00:19:11


ちなみにセカイ系とは「主人公やヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、
具体的な中間項(国家・社会・それに関わる人等)を挟むことなく、
「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」。
まぁこれに従えば、ライトノベルはすべてセカイ系なんですがね。
posted at 00:22:21


ストーリー自体は割愛です。
脚本の虚淵玄ばっかりがピックアップされている部分もありますが、
それと同じかそれ以上に、シャフトと劇団イヌカレーの映像と、
音楽の作りの功績は大きいなぁと思いました。あと監督の新房昭之もね。
posted at 00:27:37


まどか☆マギカの中でも取り上げられていますが、
『祈り・願い』と『呪い』と言うのは表裏一体である。
これは私も以前からそう思っています。
posted at 00:34:03


『祈りや願い』があるから、『呪い』が生まれる。
『希望や願望』があるから『絶望』が生まれる。
そして、より強い願いや祈りは、より強い呪いを生むことになり、
より強い希望や願望は、より強い絶望を生むことになる。
これらは全て表裏一体。必ずそうというわけではないが、そうなることもある。
posted at 00:35:37


例えとして合ってるかは分かりませんが、
『誰かを助けたい』とか『強くなりたい』とか
善意や向上心に基づいた前向きな感情が『願い』で、
『誰か(自分)をイジメているヤツなんて消えればいいのに』とか
他人を殺したいほど憎悪するなどの後ろ向きの感情が『呪い』になる。
極端な話、『幸せな世界を願う』って事は『幸せでなかった世界を呪う』事かもしれない。
posted at 00:38:18


もしくは、叶えられなかった『祈り』や『願い』、『希望』や『願望』は、
『呪い』や『絶望』に変容していく。
日常で例えるなら、頑張ったのに大学に受からなかった、就職できなかった、
出世できなかった、失業した、好きな人に振られた・嫌われた 云々。
前者が大きければ大きいほど後者も大きくなる。
posted at 00:42:37


だから『希望を持たなければ、絶望なんて無い』
と言うのもある意味1つの考え方なのかもしれないですね。
まぁそれは極端な考えとしても、実生活においては、
この祈りや希望といったものを、どのレベルまで求めるのかと言うことは、
大事なことなのかもしれないと思うわけです。
posted at 00:45:36


そういや某アニメでも、
『何かを得るためには同等の代価が必要になる』
いわゆる等価交換の法則がありましたね。
どんなときも(always)と言うわけではありませんが、
ほとんどの場合は(usually)そうなのではないかと思うわけです。
posted at 00:48:54


まどかはそのシステムを否定しましたし、
物語としては良い感じで終わったなぁと思っています。
ただ現実世界では、祈りは呪いであり得ると言うことは、
少し頭の片隅に入れておいた方が良いのではないかなぁと思うわけです。
表裏一体であり二律背反。
posted at 00:51:25


また、『他の誰かのために願いを使えるのか?』と言うのがありました。
『それは本当にその相手のためなのか?』
そして『それは本当にその相手のためになるのか?』。
ひょっとしてそれは『自分の願い』そして『自分のため』ではなかろうか。
そこの境界はものすごく曖昧だったりします。
posted at 00:59:43


そう言う事を考えると、願いや祈りは本来自分に向けて
使うことがオーソドックスのような気もしますね。
もっとも、祈りに呪いが内包されているのであれば、
自分で自分にかけた呪いは誰にも解除することができないんですがね。
posted at 01:02:43


まとめますと、
①祈りや願いには呪いが内包されている。この関連は鏡像であり表裏一体である。
②祈りは自分のために使うほうがオーソドックスではなかろうか。
ただし自分自身に呪いをかけている可能性もある。


これを民俗学的な視点でも考察すると面白いかもしれませんね。
長文失礼しました。
posted at 01:05:50

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